アレキサンダー 続き

この映画でのアレキサンダー像。
子供のころからお母ちゃんベッタリのマザコン野郎、しかもただの母ちゃんじゃない。「美しさの秘訣=セックス」と主張してやまないエロエロ姉御・アンジェリーナ・ジョリーときた。そんな気性の荒い姉御、サルのように女とヤりまくってはアレキサンダーの王位継承権を危うくする父王フィリッポスをとうとう謀殺しちゃう。
これがアレキサンダーのその後の理由付けとしてずっと引っ張られるわけです。愛しの母ちゃんを支配している偉大な父越えを果たす前に、当の母ちゃんに父ちゃんをブチ殺されて、アレキサンダーは永遠に父越えの可能性を失ってしまう。そのせいで神話の英雄とホモだけがお友達の迷走ボーイになっちゃった、という塩梅。コートの中では、もとい、戦場と男の胸板の中では平気なの、と。こんな簡単なエディプス・コンプレックス的解釈で歴史の英雄を括っちゃっていいのかよ、と思わないでもないが、実際そうなっちゃってるんだからしょうがない。アレキサンダーちゃんは天国でどう思ってるだろう。
ダレイオスを破ったガルガメラの戦いほかの英雄的偉業も当然映画には出てくるけど、なんせこんな人物像だから印象に残らない残らない。あの超有名な東征も、この映画ではまるっきり「巡礼の旅」。大群率いて歩き遍路してるようなもんだ。なんせアイデンティティクライシス起こした青年の自分探しの旅なんだから。世界の果てはどこなんだー、って。神話と現実の区別付かなくなった誇大妄想狂なんですよ。しかも権力持ってるくせにやたらナイーブ。そう、この映画のアレキサンダーは、最高に女々しい奴なんです。
いわゆる「泣ける」エロゲーが徹底的に男性性を隠蔽することで、自己実現するべし、女性を支配し所有するべし、というパワープレイに疲れ果てた、「去勢された」女々しいオタク男子の共感を集めたんだとしたら、アレキサンダーだって、一見パワープレイのようにも見えるけど、その根幹部だけ見ればイマドキのオタク男子の写し絵のひとつだって言ってもいいんじゃないか。
もう一人のあんたが、ここにいるぜ(まあ、あなたはホモじゃないとは思うけど…)。